まず、自分を幸せにすること

あなたは自分を差し置いて、周りの人にばかり尽くしちゃっていませんか?

  
あの人が喜んでくれる顔を見たいから
子供はまだ手がかかるから
家族だから
今まで世話になった人だから
 
人が笑顔になってくれたら嬉しいものですよね。
それは良く分かります。
 
ですが、いつもいつも他の人ばかりに尽くして
自分の幸せ度を上げる事を忘れてしまっている人は要注意!
 
日本では特に、周りに尽くすのが美徳と思われがちですが、
実はこれ、尽くしている本人にも、周りにも
よろしくない悪循環を生んでしまうものなのです。
 
 
私が出会ったことのある人で実例を挙げてみます。

Aさんの場合

  
Aさんは明るくて気さくで、陽気な人柄。
人と関わるのが大好きで友達もたくさん居ました。
 
忙しそうな先輩を見たら、
いつでも自分のことを差し置いて
一番に手伝いに行っていました。
 
自分のこと優先だった私はいつも
 
「Aさんは手伝いに行っているのに、
お前はなぜ行かないんだ」
 
と、よく怒られたものです。
 
先輩のお手伝いは夜遅くまでかかることもあり、
当然その間に、一緒に食事を作ったり食べたりという
時間も入ってきて、余計に時間がとられます。
(私は人嫌いだったので、
その時間を取られるのが嫌だったんですが)
 
私は、人から好かれる
Aさんのことを尊敬していたし
自分には無い
素晴らしい長所があると思って
羨ましくもありました。
 
ですが、課題提出の日が近くなったある日、
Aさんが半泣きで部屋に駆け込むのを目撃。
 
話を聞くと、どうやら
日常的に人の手伝いばかりに行っていたので
自分の提出課題が終わらず
「もう間に合わない」と
パニックになってしまったようでした。
 
課題提出完了まで友人たちが毎日声をかけ、
サポートし、何とか提出には間に合ったようです…
 
そんなことがあってから
それまで手伝ってもらっていた先輩も、
Aさんに手伝ってもらい過ぎないように気遣いしたり、
常に周りの子がAさんが自分のことを済ませているか
気にかけなくてはいけなくなりました。
 

Bさんの場合


BさんもAさん同様に人に好かれる人柄。
さらに気遣いもできて、弁も立ち、
人を束ねる力もある実力派のしっかり者です。
 
友人、同僚問わず、
常にたくさんの人から頼りにされたり、
悩みを相談されたりしていました。
 
愛情深い人で、周りの人が
少しでも心穏やかに過ごせるようになるならと考えると
自分が忙しいとか、疲れているとかいうのは
完全に置き去りにするタイプ。
 

 
ある時、友人の家での忘年会を計画しました。
しっかり者のBさんは当然、幹事になってくれ、
何日も前から計画を練ったり、メニューを考えたり…
 
料理上手なBさんは、当日忘年会の念時間も前から
開催場所の友人宅に行き、
準備に勤しんで豪華な料理をふるまってくれました。
 
忘年会は無事楽しく終了…
なのですが、私は素直に「ありがとう」とは
言い難い気持ちに襲われていました。
 
なぜかって?
 
Bさんの仕事がとても忙しいのを知っていたからです。
忙しすぎる仕事のせいで、
休みの日は、ほぼ一日ぐったり
寝ているという話を聞いていたからです。
 
専業主婦で時間があり余ってるとかじゃなく、
忙しい仕事の合間に、
気遣い細やかに計画を色々考えてくれていたのです。

 
仕事帰りの遅い時間に色んなスーパーに寄って、
どこで食材を買えば一番会費が安くなるかを
何日も研究してくれているのを知っていたからです。
 
誰にも負担なく、ただ皆で
集まって楽しく話をしたかっただけなのに、
私は「Bさんに多大な負担をかけてしまった」
という思いでいっぱいでした。
 
そういう背景があったので、
「そこまでしないでいいのに」
と本人に言ってしまいました。
 
するとBさんは
「喜んで欲しくて頑張って作ったのに、
なんで素直に喜んでくれないの?」
…とは言いませんでしたが、
そう感じていたのは確かだと思います。
 
残念なのか、悲しいのか、複雑な表情をしていました。
 

 
誰かを犠牲にして自分だけ良い思いをして、
心から喜べる人は少ないのではないでしょうか。
 
お腹が空いてやせ細っている人から、
食べ物を貰おうと思えますか?
 
お腹いっぱいで満足している人からなら
遠慮なく受け取ることが出来ますよね。
 
食べ物以外の、
愛情だろうが労力だろうが同じことです。
 
満たされていない人から
何かを受け取るのは気兼ねしてしまうし、
その結果、本人がさらに苦しむようなことになるのは
誰も望まないはずです。
 

 

シャンパンタワーの法則をご存知ですか?

 
シャンパングラスを重ねて、
ピラミッドのように積み上げたものを想像して下さい。
 
「幸せ」というシャンパンが上から注がれます。
一番上のグラスを自分だと思って下さい。
 
自分のグラスが満たされて、
そこからあふれ出た分だけが
他の人たちに行き渡ることが出来るのです。
 
自分のグラスを満たさずに、
他の人だけを幸せにしようとしても、
構造上無理な話なんです。
 
表面上は周りに尽くして
うまく回っているように思えても、
Aさんのように長続きはしないか、
Bさんの時の私のように、
違和感を感じる人が出てくるのです。
 


 
自分を愛で満たしてください。

 
休めていない人、疲れている方は、
ゆっくり休む時間を作ってみてください。
 
自分の心も体もすっかり充電された時
あなたの大好きな人たちを
もっともっと大切にすることが出来るのです。
 
大切な人たちを幸せにすることが出来るとしたら、
それには自分が幸せになることが必要だと思ったら
もう少し自分を大事にできそうな気がしませんか?
 
私は、あなたが幸せになる姿が見たいと思います。
あなたに料理を作って欲しい訳じゃなく、
疲れていても私に尽くす姿を望んでいるのではなく、
あなたが心から笑って幸せそうにしている姿が見たいのです。
 
どうか、自分を軽んじず、
大拙な存在だと感じてみてください。
 

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車線変更の時

転職するとか、離婚をするとか

大きな決心をしてこれまでとは違う生き方を選択するとき、
これまでの人間関係なり、金銭面なり、
何かを失ってしまうという事を経験します。
 
そこで車線変更したのが間違っていたんだと思ってしまって、
もとの場所に戻ってしまう人もいます。
 
もしくは金銭的な安定を求めて、
人間関係が壊れるのが怖くて、
今のまま安全な場所に居たくて、
これまで歩んできた道から車線変更するのを恐れて、
何もしないという選択をする人もたくさんいます。

でも何かを失うのは一時的なものです。

例えば親に反対されたとき、
友人が止めさせようと説得してきたとき、
行動したことで実際にお金が減ってしまったときでも、
自分を信じて進むことが出来るか。
 
それらの不安を越えて、周囲の反対を乗り越えて
本当に自分が進みたい道を進む勇気があるかどうか。
 
それを宇宙に試されているのです。
 

 
それを理解していないと、いつまでも
自分が本当にやりたいことをおざなりにしたまま
ただただ何事もなく
生活するだけの人生になってしまいます。
 
あなたは
「今はあきらめてしまったけど、本当はこれをやってみたかった」
という事はありませんか?
 
例えば半年後に死んでしまうとしたら、
やり残したことはありませんか?
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

実際に今、私が体験しているお話をしたいと思います。

私がスピリチュアルライフコーチになると宣言した後、
周囲に変化がありました。

 
急に離れていく友人がいたり、
いつも集まるメンバーでの会話が楽しく感じられなくなってしまったり。
 
「この人たちとの関係はたぶん切れてしまうんだろうな。
完全に連絡が途切れないとしても、
前ほど楽しく同じ時間を過ごせないんだろうな」
 

人間嫌いの私とこれまで仲良くしてくれていた
大事な友人たちなので、
とても寂しく感じました。
 
私がライフコーチになっていなければ、
この人たちを失うことは無かったのかな…
とも思いました。
 

 
ですが私はその人たちとの関係を途切れさせたくて
ライフコーチになったわけではありません。
 
自分が本当にやりたいことをやったら、結果として
これまでの関係が切れてしまいそうになっているだけ。
 
今、私が感じているのは感謝です。
その子は私に会いたくないのかもしれませんが、
私はここで感謝を伝えます。

今まで私を支えてくれてありがとう。

あなたと過ごした時間は本当に楽しかった。
あなたが話を聞いてくれたから私は何度も救われました。
あなたが居たから学べたことが沢山あったことが
今なら分かります。
 
もし今、あなたが私のことを嫌いになっていても
私たちの感性が合わなくなってしまったとしても
私はあなたとの出会いは運命だったと信じています。
 
私と出会ってくれて本当にありがとう。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は今、新しい出会いを待っています。

新しい出会い。新しい友人。新しい環境。
車線変更した今の私にぴったりな未来が
必ずやってくると感じてワクワクしています。
 

 
なぜなら私は心からやりたいと思える道に進んでいるから、
そんな道に進んだときは、
必ず宇宙が応援してくれるのを知っているからです。
 
そんな話を聞いてもやっぱり、
人生の車線変更の勇気が出ない、という方もいると思います。
私は自分自身を実例として、今後もお見せできたらと思います。
 
ですので、私がこれからどうなっていくのか、
変化があった時にはまたブログに書かせて頂きますね。
 
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瞑想がすごい!その理由

瞑想とは

「瞑想」という言葉自体は聞いたことがある
という方が多いのではないでしょうか。
では、瞑想をしたことがありますか?という質問になると、
 

「え?瞑想って一般人が普通にするものなの?
出家僧とか、修行僧がするものじゃないの?」
 
と思ってませんか?私は思ってました。
 
大学の頃に好きだった本の著者が、日常的に瞑想をしているそうで、
瞑想自体には興味があって
 
「瞑想ってどうやってやるのかな?」
 
ぐらいには思ってました。
 
でも前述のように「修行僧がやるもの」だと思っていましたし、
日常生活を送っていてそうそう瞑想教室などに
出会ったことも無かったので、気になりつつも
つい最近までやったことが無いままにしていました。
 
ところが!

やってみると瞑想はすべての人にぜひ日常的にやってもらいたい、
言うなれば健康になるエクササイズのようなものなのです。

 

瞑想のやり方

 
瞑想にもやり方が色々あるとは思うのですが、
私が実践しているのは一番簡単な瞑想方法です。
 
目を閉じて、考えるのを止めて、呼吸を意識する。
 
これだけ。
神に祈りを捧げないといけないとか、
難しいマントラを唱えないといけないとか、
インドのヨガの達人のように、体の固い人にはには
到底できない奇怪なポーズを取らないといけないとか、
そんなのは一切ありません。
 
1. 静かな場所で、脚を組んだりせずに姿勢を正して椅子に座ります。
2. 深呼吸をしてから、目を閉じます。
3. 呼吸は、吸う事には意識を向けなくても大丈夫。
4. 息を吐く時にできるだけ長~く吐くことを意識しす。
5. 何も考えず、頭を空っぽにして息を吐くことだけに意識を向けます。
 
しばらくすると、もしくは何日か練習して瞑想に慣れてくると、
瞑想に深く入れるようになります。
 
瞑想が深くにあると、脳波がシータ波の状態になります。
シータ波は眠りの入り口に現れる脳波です。
眠りの入り口とは、体は眠っている状態だけど
まだ意識は起きているという状態。
 

瞑想の効果

実はこのシータ波の状態は、ヒーリング効果が高く
多くの効能を秘めている状態なんです。
ちなみに驚異的な暗記力を発揮するヨガの達人は、
瞑想状態に入ると脳波にシータ波が多く含まれるそうです。

これはひらめきや洞察力が活性化する脳波と言われています。
集中力も高めるので、勉強や仕事の前に瞑想をすると、効率的に進めることが出来ます。
 
また、ストレス解消安らぎを感じる効果もあり、
体の自然治癒力も活性化されるそうです。
 

 
一日の終わりの寝る前に瞑想するのもお勧めです。
 
寝る前に心配事を考え始めてしまって、
ぐっすり寝られなくなることってありませんか?
(私はよくありました。)
 
私はネットショップを運営していますので、初期の頃はよく
色んなクレームや質問メールを受け取って、寝られなくなっていました。
 
お客様からの問い合わせってやっぱり夜が多いんです。
寝る前に「届いた商品が壊れていた」というご連絡のメールを
見てしまうと、もうそのことが気になってしまって、
さらに申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまって
とても寝られたものではありませんでした。
 
そんな時に瞑想をして頭を空っぽにすると、考え過ぎて寝られなくなるのが防げます。
寝られないまま、次の日焦って交換商品を送ったたとしても
寝不足のおかげで、新たなミスを誘発してしまったら意味ないですよね。
 
私の場合はお客様からの問い合わせが寝られなくなる引き金でしたが、
受験前で緊張して寝られない。
明日大事なプレゼンを控えている。
お見合い前、初デートの前日、発表会前などなど、
緊張してしまう場面は、皆さんありますよね。
 
瞑想で頭をストレスを手放して、ぐっすり寝て、
スッキリ起きて、ミス無く能率的に過ごせる方が絶対に良いですよね。
 

瞑想を始める前の注意点

 
ちなみに以下の点は瞑想前の準備として、やっておいた方がお勧めです。
 
・瞑想の途中で携帯が鳴ったら集中できないので電源を切っておく。
 
・話しかけられたり、近くで騒がれたりすると
 気になって瞑想に集中できないので、
 家族や同居人の方には静かにしてもらうように言っておく。
 
瞑想の途中でたびたび何かに妨げられたりすると、
次に瞑想するときに深く入りにくくなる場合があるようです。
せっかくの瞑想が妨げられないようにしっかり準備して、
心のエクササイズを楽しみましょう!
 

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人生にワクワクすること

先日子供の学校で運動会が開催され、お弁当を持って見物に行ってきました。
 
天気が良くて(むしろ晴れ渡り過ぎて暑いくらい!)、最高の運動会日和。
 
去年までは保育所だったので、運動会に参加しても午前中で終了し帰宅していたので、運動会のためにお弁当を作るのは初めてのことです。
子供がお弁当喜んで食べてくれるかな、とワクワクと想像を巡らせながらお弁当を作り、食後のフルーツも用意して、お弁当が悪くならないように保冷バッグに入れて飲み物もたくさん用意して…と、自分的には準備万全と思って小学校へ。
 
私は保冷バッグ1つ、紙袋1つで向かったのですが、着いてみると完全に準備不足の類に入るという事が判明しました( ゚Д゚)!
 
皆さんレジャーシートを持ってきているし、
(地域ごとのテントとブルーシート+ゴザが用意されているので、
各自でレジャーシートを持ってくる必要が無いと思ってました。
ゴザが経年変化でボロボロ、上に座るとモロモロと崩れて、服にめちゃくちゃ繊維が付着する。)
 
大きなクーラーボックスをキャリーに載せて引いてきているし
(近くの駐車場はいっぱいで、遠くの駐車場からはるばる歩いてこないといけないので、キャリーがあると便利)
 
アウトドア用の折り畳みチェアはもちろん、
(ずっと地面に座っているとお尻が痛い)

ミニテントまで持参で、木陰の涼しい場所に陣取っています。
(地域のテント下に座ると、太陽の傾きによって日陰部分が少なくなって、運動場の照り返しもあって暑い!!)
 
皆さんの完璧な準備に感心し、折り畳みイス、クーラーボックス、
レジャーシートを買う事を心に決めました…(;^ω^)
 
大家族のおうちはお弁当作りが大変だろうなと思っていたら、
皆でそうめんを食べているご家族も発見。
プラスチックカップに出汁を入れて食べてました。
ゆでるだけでいいから簡単だなぁ…斬新なアイデアです。
 

 
さてさて開会式が始まって、全校生徒がぞくぞくと入場してきます。
うちの子はあいにく遠い場所に居て、座っている場所からほとんど見えなかったのですが、
「一年生で入学したてで、学校に慣れるのに精いっぱいの時期に、頑張って何回も練習したんだろうなぁ。
と思うと感慨深く、特に何でもない光景なのに涙ぐんでしまいました。
 
自分の子供が出ていない競技でも、誰かの一生懸命な姿を見られたのがとても嬉しく感じられます。
 
皆それぞれの大変さを抱えているはずなのに、(例えば走るのが苦手とか、体が弱くて体力が心配とか、運動が嫌いとか、人前に出るのが恥ずかしいとか、団体行動が苦手とか、いろんな子がいるはずです。)そんな中に、純粋に運動が大好きな子も混じって、
学校全体で一つのイベントを成し遂げようとしている姿に感動したのだと思います。
 
私はPTA役員もしているので、午後からはPTA主催競技のお手伝いもありました。
 
生徒さんと違って大人は運動会の練習なんてしていません。ぶっつけ本番です。
なので、どうしても慣れてないグダグダ感が出ちゃってました(;^_^A
でもそれも良しです。一生懸命やった結果グダグダなら、それもOKだと思いました。
 
運動会終了後の片付けまで手伝って、感慨深い一日の終了となりました。
毎日練習して、用意して、大勢の父兄の方を呼ぶ一大イベントを運営してくださった先生方はさぞかし大変だったことと思います。
 

 
ここまで読むと、「運動会楽しくて良かったね。」という何でもない投稿ですよね。ところが!去年までの私と比べると、この反応はもう信じられないくらいの大進歩を遂げての「楽しかった」なのです。
  
実は私、去年までは学校のイベント事が大っ嫌いだったんです。
ここから面倒くさがり屋の駄々が始まりますので、読みたくない方は次の画像部分まで飛ばしてくださいね。

例えば保育参観があれば、
「毎日子供は家に帰ってきてるんだから、何でわざわざ仕事を休んで保育所に様子を見に行かないといけないの?仕事があるから預けてるんだから、勝手に観ててくれたらそれで良いのに。」
 
運動会があれば
「うわー、面倒くさ!!なんで休みの日の自由な時間をつぶして保育所の行事に参加しないといけないの?」
 
夏に夕涼み会があれば
「行きたくない。他のお母さん方がいっぱいいて何話したら良いのか分からない。子供の盆踊りにも先生の出し物にも興味ない。」
 
地域のお祭りのパレードに参加するからと言われれば
「わざわざ混んでる場所に行くのは嫌だから、(自分の子が出てるのにも関わらず)パレードは見ないで指定されたお迎えの時間に迎えに行けば良っか。」
 
遠足があると言われれば「お弁当作り、面倒くさ!」
親子遠足があるから来てくださいと言われれば
「絶対行きたくない!勝手に行ってきてくれよ~”(-“”-)”」
 

 
もう何もかも、全部が嫌でした。
イベントには自分のやりたいことの邪魔をされているとしか思えませんでした。
 
その私がこんなに運動会を楽しめたのは、宇宙の仕組みを理解し、被害者意識を手放せたからです。
 
私たちはちゃんと目的があって生まれてきていて、すべての経験には意味があることを理解したからです。
 
このブログを読んでくださっている人の中に、「生きるのが面倒くさい」「他人に邪魔されたくない」と思っている、過去の私のような生き方をしている方がもしいましたら。
全ての出来事にワクワクして、人生を楽しむことができる観念があるとしたら、それを知ってみるのも良いかもしれないと思いませんか。
 
生きるのが楽しくなる観念を自分の選択で選べるとしたら、そしてその結果、本当に人生が楽しくなったら?
 
私の周りで起きる出来事は変わっていません。
私のこれまで生きてきた経験も変わっていません。
でも私は観念を、考え方を変えるだけでこんなにも楽しく過ごせるようになりました。
 
ただただ生活に追われて過ごしてしまっている悩み多き方々が、目標を持って前向きに、そして楽しく生きられるように助けることができれば、私にとってこれ以上の幸せはありません。
 

 

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「被害者意識」を手放す

こんにちは、スピリチュアルライフコーチ・宮西万理です。
 
皆さん、自分が「被害者意識」を持っているかどうかって
意識されたことありますか?
 
これ、けっこう知らず知らずのうちに持っていたりするんです。
この被害者意識を認識して手放すと、人生観が変わります。
 
私は最近、自分の中の被害者意識に気が付く出来事がありましたので、
それについてお読みいただきたいと思います。
 

 
私は大学生の時に、とても学びの多い時期を過ごしました。

実は最近まで、その時起こった出来事に対して
「あの時、○○さんにあんな風に言われたから、私は××させてもらえなかった。」
という思いを長年持っていました。
 
その○○さんが悪い人だとは思っていませんでしたが、
言い方や指導の仕方が悪かったために、自分はすっかり
自信を無くしてしまったのだと思っていました。
 
何をしても怒られていたので、卒業間際になる頃には
「こんなに役に立たない自分は死んだら良い」
と全ての自信がくじかれた状態で人生に絶望していました。

 
あの人のせいで私は自信を失った。
あの人のせいで私は大学院に行けなかった。
あの人のせいで卒業式に親を呼べなかった。
あの人があんな言い方したから、
あの人のせいで、あの人のせいであの人のせいで…
 
誰にこの話をしても「それはひどい言われようだったね。辛かったね」
と言ってくれるので、自分には悪い点は無く、周囲の人たちや
環境が悪かったためにひどい経験をしたと考えてきました。
 
それでも私は、自分が被害者意識を持っているなんて思ってもいなくて、
「その時はつらかったけど、今思うと良い経験をしたと思っているし、
私はそんなマイナスな考え方してないよ~!(^^)!」とか思ってました。
 

 
ですが、私が大学時代の思い出を語る時、必ず
「〇〇された」「こんな風に言われた」「△△するのを止められた」
「そのせいで××できなかった」
と語っていることに気が付きました。
 
本当に「良い経験をした」と心底思っていたら、
そんな言い方になるはずがないことに気が付きました。
論理的に考えて、頭では納得いく理由を付けていたけれど
本当には納得していなくて、
大きな被害者意識を持ったままだったことに気が付きました。
 
でも何度考えて直してみても、どうしても
「あの人がああ言ったから私は…」という意識が手放せません。
 
被害者意識を持っていることを認識してみると、
こんなマイナスな考え方をしていることが恥ずかしくて、
もっと前向きに人生をとらえたくて「一体どうしたら…」と考え続けました。
 
そして、ふと
「じゃあもし、この大学自体の経験をしていなかったとしたら?」
と思いました。
 
その時に私は心底、気が付きました。
「この経験は自分に必要な経験だった。」
 
この経験があったから、今自分が人に接する時、
相手の考えや気持ちを聞いて、その人の性格を把握して、言い方を考えて
その人が分かるように話そうとするようになったことに気が付きました。

成功の可能性が少なかろうが、その人がやりたい事に自由に挑戦し、
自ら成功や失敗を経験して、実体験から学ぶ機会を絶対に止めないようになりました。
 
感謝を感じたら手紙を書いたり、
仲が良い人とも嫌いな人とも連携を取って
団体で活動するという経験をさせてもらいました。
本来1人が好きで団体活動が苦手な私は、強制されない限り
自らそんな環境に飛び込むなんて挑戦は、絶対にしなかったと思います。
 
数え上げたらきりがないほどに、私は与えてもらっていたのです。
 
思い出すたびに恨みがましく思っていたその人に、心から感謝が浮かびました。
私に必要な経験を与えてくれてありがとう、と。

恨んでいたあの人は、一瞬で恩人に変わりました。
 
辛かった思い出が消え、恨んでいた人がいなくなり、人生に感謝しました。
そして、こういう人生を歩ませてくれた神様にも。
 


 
今までと違う視点を知って、重い感情を手放せることがあると想像してみて下さい。
人生がより良く、より楽しいものに変えられるとしたら?

また、既に楽しい人生を送られている方。
より楽しい人生を送れる可能性があるかもしれないと考えてみてください。
新しい観念を知ってみるのも良いかもしれないと思いませんか?
 
被害者意識を手放した今、被害者意識や恨みの心を持ったまま生きる事は、
最高の幸せではないと私は確信しています。
 
 

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観念を自分で選び取る

私は「人生は怖いことに満ち溢れている」と
思っていたことに気が付きました。
 

 
他人は、私から時間や労働力や気力を奪っていく存在。競争する相手。

まるでブランドの限定商品の奪い合いのように、
他の人が何かを手に入れれば私の取り分が減るのだと思っていました。

 
美人に生まれなかった私は不運。
あの時、怒られた自分は被害者。
あの時、自由を制限された自分は被害者。
大学院に行かせてもらえなかった自分は被害者。
〇〇を押し付けられた、〇〇をやらされた、
××された、△△された、された、された…

 
私の被害者意識は、他人の中の愛を信じられない私を作りました。
人を恐れ、怒られれば委縮して、心を閉ざし続けてきました。
他人に迷惑をかけて、口先で謝っても本当には反省してなくて、
性悪説を信じていた私。
 
そして、自分の人生や、
私たちが生きているこの地球も信じていませんでした。

自分は偶然生まれてしまって、暮らしている環境は
いつでも危険に満ち溢れていて、
いつ自然災害や事故や病気で死ぬかもしれない。
 
今 命があるのは、今 毎日ご飯にありつけているのは偶然ラッキーが
続いただけのことで、かろうじて命を長らえているだけだと。

 

 
年老いて命の炎が尽きるその時まで、
少しでも嫌な出来事に出会わないように、
嫌な人に出会わないように、
不運が起きないように願って生き続けるのだと。

だけど今、スピリチュアルに出会って、12ステップセッションで
自分の人生を分析し、その考え方が全く変わりました。


被害者意識を認識して手放しました。
完璧ではない自分を許し、受け入れました。
他人への恐れを手放し、過去の嫌な思い出を手放しました。
 

恨みがましく嫌っていたあの人もこの人も、私の学びのために
「嫌な人」の役割を演じてくれたソウルメイトなのだと感じました。
悪事を働いた人を自分が寛大になって許してあげるのではなく、自分のために、
自分の心を軽くするために許しが必要なのだと理解しました。
重い感情を、自分のために手放しました。
いえ、「自分のために」とか考えて無理やり自分を納得させる必要もなく、
人生の仕組みを理解するだけで、自然に「ゆるし」が起きたのです。
 

嫌な出来事を別の視点から見ることを学びました。
自分の人生に起きる出来事に何一つ間違っているものは無く、
意味の無いことなど無いことを確信しました。
 

起きた出来事の意味は、いつでも自分のとらえ方1つで、
ネガティブにもポジティブにも捉えられることを知りました。
いつでも自分が主体となって、観念を選択できるのです。

 
宇宙、神様、創造主。呼び方は何でも構いません。
創造主が私たち人類すべての人々に万全であるように、
環境も人生も周到に準備してくれているのを知りました。
そしてその周到な人生設計には、自分も関わって
生まれることを決めてきたのだと、信じています。

 
他人が私から何かを奪うことは無く、
私も他人の何かを奪ってしまう事はありません。
全ては完璧なのです。

 

 

自分の中の論理的な思考が不安を吐き出して私を現実に引き戻そうとします。
 

「宇宙の仕組みなんて、スピリチュアルなんて、科学的根拠が無いんじゃない?」
そんなことはどっちでも構いません。
 
「そんな夢物語みたいなことを信じるなんてばかばかしいと
誰かに批判されるかもしれないよ?」

そういう意見もあると受け入れた上で、気にしない心構えを
持つことができるようになりました。

 
例えば、雪男やUFOやツチノコが本当にいると信じている方が、
人生ちょっと楽しくなりますよね。
そんな、人生が楽しくなる発見をしたような感じ。
しかもUFOよりも、
もっともっと人生に確信をもって生きていけるような大事な信念を。

 
自分の人生歩んでいくに際し、自分が信じたいことを信じて、
自分が幸せになれる考え方を選んで生きていくのに、
なぜ理性的な思考や他人からの批判を気にする必要があるのでしょうか?
私は他人の意見に振り回される
人生ではなく、自分の人生を生きたいのです。
 

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他人が怖い

私は小さい時から人と仲良くなるのが苦手でした。
 
小学校では高学年になるまで仲の良い友達が居なくて、
何なら女子の輪にも入れなくて、女子の中でただ1人、
絵を描くのが好きな男子と教室で漫画を描いていたのを覚えています。
 
クラス替えの度、新しい学校に入学する度に、
新しいクラスになじめるか不安で不安で憂鬱になっていましたし、
自分の予想通り、友達がなかなかできず苦労した覚えがあります。

★★注意★★

以下、私の暗い過去の話になります。
「マイナスな出来事を読んで感情移入したくない!」という方は、
ジンジャークッキーの画像部分まで読み飛ばしてくださいませ。
マイナスエネルギーを振りまくことは本意ではありませんので、
感受性の強い方は自衛をお願いいたします。
 

 
休み時間に
「せんせー!一緒に〇〇しようよ!」
などと先生と仲良くなる子も居ましたが、
私は先生と仲良くなるなんて考えられませんでした。
大げさな表現だとは思いますが、先生は「先生」という、
自分とは別種の絶対的に正しい神のような存在のように感じていました。
そんな絶対的な正義を持った相手と親しく話すなんて、考えてもみませんでした。

 
先生、先輩、上級生、上司、○○会社社長など。
何らかの肩書のある、しかも自分より上の立場の人達は、
その肩書を背負った生き物のように思えて、自分とは違う、
分かり合えない生き物だと思っていた節があります。
何か失敗してそんな人たちに怒られたりすると尻込みしてしまい、
ますます何にもしゃべれなくなりました。

 
大学時代は友達が一人もできませんでした。
周りで面倒を見てくれる先輩方にも、心を開くことができませんでした。
先輩が卒業する時に
「こんなに長く一緒に居たけれど、今 特別言うべき言葉も無く…
ま、こんな関係だったという事ですかね」
というような内容の手紙をもらい、
人間関係が築けなかった自分にがっかりしました。
 
友達の友達、というような新しい出会いがあっても、
一歩下がって見てしまって仲良くなれませんでした。
 

就職しても職場になじめません。
最初に就職した職場で唯一親しげに話しかけて来てくれた人は、
後にネズミ講に誘ってきて「これが目当てだったのか」と、
がっかりさせられました。
 
服屋さんに勤めていた時には、お客様が店に入ってくると
「うわっ、どうしよう、何か話しかけないといけないのかな。
早く帰ってくれないかな」
と思いました。
お客さんに帰ってほしいと思っている店員さんなんて嫌ですよね。
 
職場の飲み会などの大勢がいる場では、人がいっぱいいすぎて
誰と話していいのかわからなくなって固まってしまいます。
お話上手な人の話に相槌を打つので精いっぱい。
帰宅後は何にもしてないのにすっかり気疲れしてしまって、
二度と飲み会には行きたくないと思うばかり。
 
子供ができてからは、保育所のお迎えに行った時に、
他のお母さん方の群れの中に入らなくてはならないのが
苦痛で仕方がありませんでした。
楽しいはずの学校のイベント、運動会や参観日なども他の父兄の方々と
コミュニケーションしなくてはいけない場面が多々あるかと思うと、
心底嫌で嫌で仕方が無く、そんなイベントには行かずに
家で好きなことをして過ごしたいと思いました。
 
大人になるごとに多少の処世術は身に着けていきましたので、
表面上何ともないように話すことはできなくもありません。
でも内心は、他人への恐れ、関わりたくないという気持ちが
消えることはありませんでした。
  

仲良くなりたい

そんなにも他人と関わりたくないと思っていたけれども、
その反面、実は強烈に人と仲良くなりたいとも思っていました。
仲良さそうに話している人たちを見ると、自分もあの輪の中に入れたら
どんなに良いかと思う気持ちを消すことができませんでした。
 
私の周りの40歳を越えた人たちは、これまでの人生経験から
ある程度自分の特性を理解していて、一人でいることを楽しんでいます。
 
人と関わるのが嫌いなKさんは一人でいることを無上に愛していて、
そもそも人に関わりたいとも思っていません。
 
Yさんも同様に大勢でいるのが嫌いで、一人でやりたいことを
自由にやれる環境を楽しんでいます。
 
Hさんは友人と会うよりも仕事優先したいと考えて、
ここ数年友人と会って話すという事をしていません。
 
そしてみんなそれで良いと満足しています。
 

だけどあきらめがつかない

 

 
なのに私は、人が嫌いなくせに人と仲良くしたいという矛盾を抱えたまま、
苦しみながら生きていました。
一人が好きなんだから一人を楽しめばいいのに
(そして一人を十分楽しんでもいたのに)
40歳が来ようとしている今もまだ、あきらめがつかずに
人と仲良くなりたいだなんて往生際が悪いな、と。
 
 

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是非たくさんの方々にも感じてもらいたいと思います。
 
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不安だらけの人生


 
大学時代に本を読んだことがきっかけでスピリチュアルに興味を持ったものの、私はスピリチュアルに関する知識をあまり広げないまま時が経ちました。夢物語みたいなスピリチュアルを掘り下げたかった訳ではなく、現実世界で生きるのが少し楽になるような観念(輪廻転生について)を得たことで、少し楽なっていたからです。
 
なのでスピリチュアルやオカルト、宗教などの違いも分かっていませんでしたし、パワーストーンや占いもそれらに関係するのかしないのか、何となくよく似たカテゴリーのような気がするけど…というとらえ方で、良く知らないままでした。

スピリチュアルについてはもう少し知りたいとは思って本を読んだりはしていましたが、同時にスピリチュアルなどの「ある考え方」に熱狂的に傾倒する人たちには多少の脅威を感じてもいました。
 

  
私の実体験で例をあげてみます。
 
私は小学校の頃からパワーストーンが好きでした。
雑誌などの後ろの方のページに載っていた「これを付ければ願いが叶う!」みたいな売り文句のブレスレットの広告を見ては欲しいと思っていました。
  
また、純粋に様々な色の石がきれいだとも思いましたし、「この石は地中でこのようにして形成され、硬度はこのくらい。この産地で掘られて、あまりたくさんは取れない貴重なもの。」というような地質学的な側面を知るのも面白いと思いました。
 
でも残念ながら、私は霊能力があるわけでもサイキック能力があるわけでも神秘的な体験をしたわけでもなく、普通のなんにも見えない・感じない人生を歩んできています。
私には感じ取ることができないけれど、もし、パワーストーンショップの店員さんが言うように、本当に天然石に「恋愛に効く」などの効果があって、何らかのパワーで人を助けてくれるのならば、是非それにあやかりたいとは思っていました。
 
私の知らない神秘的な世界があるのであれば、私にわかるように説明して欲しい、もしくはエネルギーなり何なり視認できるものを見て、私が納得するような証拠を目にしたい、と思っていました。
 
そんな風に天然石やそのパワーと言われるものにはとても興味があって、ショップに行ったり天然石のサイトを見るのは大好きですが、天然石を好きな人と話すのはあまり気が進みません。
 
石の上に手をかざしたりして「ね?何か感じるでしょう?この石は力があるのよ!」と、「石にはパワーがある=天然石が好きな人にとっては周知の事実」のように言われる方が多かったのですが、十分に理解ができません。
私にはそんな目に見えないエネルギーは感じられないのです。「ね、感じるでしょ?」と主観を押し付けてくるだけではなく、そんな特別な視る、または感じる能力のない一般人の私にも理解ができるように、どのように石に力があって役に立ってくれるのか、分かりやすく説明が欲しいと思いました。
 

 
ある時は、特定の宗教を信じている人に「この神様を信じるとあなたも人生をやり直せるのよ」と言われ、「あなたが私の人生の何を知っているのか。なぜ私の人生が崩壊しているかのように決めつけるのか」と思いました。「自分の信じている神様を信じる以外は道は無い」と、異なる意見や思想を受け入れないのに、自分の信念は絶対のものとして押し付けてくる一方的な感じが嫌でした。
 
別の宗教を信じている人が、その宗教特有の治療(?)を施して、効果をはっきりと感じていない私に対して「ね?楽になったでしょ?」(なぜ私の意見を聞かずに『当然楽になったはず』という思い込みを押し付けてくるのでしょうか…)
 
お坊さんの講和で「『南無阿弥陀仏』を唱えるとお釈迦様がそばまで近寄って来て『私が付いていますよ、あなたは大丈夫ですよ』と言ってくれるのです。」と話しているのを聞くと、「この人は本当に物理的にお釈迦様が近づいてきてくれると心底思っているのだろうか。もし本当にお釈迦様が近づいてきてくれているのであれば、その姿を見せて私に心底仏教を信じさせて安心させてほしい。」と思いました。
(その時聞いたお話をうろ覚えの記憶で書いていますので、もし内容に間違いがありましたら仏教に関係している方々には深くお詫びいたします。)
 

 
スピリチュアル、宗教、パワーストーンの効果を信じるというカテゴリーの人たちの違いを理解していないので、実例がごっちゃになっていましてすいません。そして何だか宗教の例が多くなりましたが、宗教を否定しているわけでもありませんので誤解の無いようにお願いいたします。
 
とにかく宗教なりスピリチュアルなり何なり、特定のものを信じている人たちの多くが、知識のない素人の私に、何の説明も無しに頭から目に見えない世界の話を周知の事実のように押し付けて、さらに共感を求めてくる機会に多く遭遇しました。
最初から意見を押し付け気味にしてくる人に対して色々質問すると、強引に入信させられてしまったり、石を買わされてしまったりしそうな気がして、いつも興味津々のくせに興味が無いふりをしていました。
 
もし自分が「この宗教を信じたら私の人生は幸せになりそうだ」と納得できる説明に出会えれば、入信したと思います。だって私は輪廻転生を信じることにした時に、神様の存在も信じることにしましたから。
この生きにくい人生が、自分の考え方ひとつで前向きに幸せに生きられるようになれば、例えその信じているものが科学で証明されていようがいまいが、どうでもいいじゃありませんか?人生は幸せに生きた方が良いですよね?
 
ただ、「信じてみたい」と思える、「これを知れば幸せになれる」と確信できる観念にまだ出会っていませんでした…去年までは。
 

 
何の信じるものも無く人生を生きるのは、不安や不公平や理不尽が多すぎると思っていました。
 
なぜお金持ちといつもお金に困っている人が存在するのか?
なぜ食料が無くて餓死する人がいる国と、たくさんの食べ物を廃棄する国があるのか?
なぜあの子の親は優しくて、私の親は厳しいのか?
病気になって動けなくなったりしたら、人生終わり?
事故にあったりして体が不自由になるかどうかは、単に運に任されているのなら、とても恐ろしい。
 
人生全てが偶然のたまものなら
お金持ちの家に生まれた子、甘い親の子がうらやましい。
美人がうらやましい。太らない体質の人がうらやましい。
とりあえず飢えて死ぬことは無さそうな日本に生まれてまだラッキーだった。
 
と、人と比べたり羨んだり、不運を嘆いたり後悔したりと、不満がいっぱいの人生でした。
 

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生きるのが面倒くさかった私

はじめまして、宮西万理です。
私は今、スピリチュアルライフコーチとして活動を始める準備をしています。
 
今日は、私がスピリチュアルに興味を持ったきっかけを書いてみたいと思います。
 

生きるのが面倒くさかった私


今思い返してみると、最初に私が生きる意味のようなものを考えたのは子供の頃でした。
「今、どうして体を持ってここに居るのかな?」
と、ふと思ったことを覚えています。
 
こう思った前後の詳しい状況は思えていませんが、小学校低学年の頃にその疑問を持ったことだけははっきりと覚えています。
 
生来怠け者の私なので、もしかしたら色んなことが面倒臭く感じて
「どうして毎日宿題しないといけないの?どうして漢字を覚えないといけないの?」
という発想から、

「なんでこんな、面倒くさいことをたくさんやらないといけない人間として生きているんだろう」

という疑問につながったのかもしれません。
 

 
実家では物心ついたころから猫を飼っていました。一日中、好きな場所で寝たり、ご飯を貰って好きなだけ食べたり残したり、外で好きに遊んだり、気が向いた時だけ飼い主に撫でられたりしている猫を見ては、
 
「人間みたいに責任や義務は無いし、なんて気楽で自由なんだろう。私も猫に生まれたかった。」
 
と考えていました。
 

 
その思いは成長しても続き、

なんで勉強しないといけないんだろう
なんでズルしちゃいけないんだろう
なんで人と協力しないといけないんだろう
なんでやりたくないことでも頑張らないといけないんだろう

なんで、なんで、なんで…
 
怠けて、めんどうくさい事は避けて、好きなことだけして、嫌なことは人任せにして生きてれば楽なのに、あえて楽な道を避けて誠実に、まっとうに生きる意味が分かりませんでした。
 
個人が自分勝手に好きなことをされたのでは周りに迷惑が掛かります。
人は一人では生きられないのは頭ではわかっています。
人と共存して生きるためには、個人に真っ当に生きてもらわないと困るのも分かります。
でも、感情としては「なんで私が自分を犠牲にして他人の為に我慢しないといけないの?」という思いが拭いきれませんでした。
 
気配りができて、周りの人にも優しくて、人の仕事を手伝ったり、時には他人の失敗をフォローしたりなんかして、仕事もできたりする明るい人を見て憧れたりはします。
でも自分がそんな風になれるとも思えないし、わざわざ頑張ったり努力したりして、そうならなければならない意味も見出せませんでした。

学生時代の勉強なんて特に。
暗記が嫌いだった私は、最も基本である元素記号を覚えるのをそもそもあきらめて、化学のテストでは11点を取ったこともあります。漢字テストではいつも成績が悪かった為、たまに気が向いて勉強し、少々良い点数を取った時には先生がびっくりして「皆さん、あの宮西さんが、こんな点数を取りました。素晴らしい!」とクラス全員に声高々に周知されるほど、普段は悪い点数ばかり取っていました。

私が怠けていると、周りは「頑張れ」「努力しろ」と言います。
でもなんで?やりたくないのにどうして?
頑張るなんて面倒くさいし好きでもないのに何で?
頑張ったって報われないかもしれないんだから、今やりたいことだけやって自由気ままに生きる方が簡単で楽でしょ?
 
そんなことを声高に言ったら人に嫌われるので、密かに心の中でこの疑問を持ち続けていました。
 

スピリチュアルとの出会い


 

 
大学生の時だと思います。私が読書好きなことを知った先輩が、本を貸してくれました。
 
その本のタイトルや詳しい内容は覚えていないのですが、スピリチュアル系の本だったのだと思います。その中に輪廻転生について書かれている箇所がありました。
 
「人間は死んだらそれで終わりではなく、同じ魂が何度も転生を繰り返して更なる成長を目指している」
 
こういう考え方があるというのを初めて知って、すぐ「この考えを信じよう」と思いました。
例えそれが万人が信じる事実でなくても良いと思いました。
現実からかけ離れた絵空事でも良いと思いました。
 
誰が信じていなくても、輪廻転生はあると思う事で、私自身が人生を前向きに生きることができると思ったからです。この観念が、この面倒くさいことだらけの私の人生をより良くしてくれることを感じ取り、これを信じるという選択をしました。
 
そこから私は「そもそも成長のために生まれてきているのだから、頑張ってより良い人間になろうとするのは意味がある。」と考えられるようになりました。 
 
何かしないといけないことがあると、「めんどうくさい」と感じる心は変わりません。でも、そう感じた時の自分の反応が変わりました。以前は周りに言われて仕方なくやっていたことが、実は自分の成長のためになるのかもしれないと思うと、面倒ながらも少し前向きに頑張ることができました。
 
私はこの時に、周りに言われて嫌々生きる人生を止めて、自分のために一生懸命生きる方向性を見つけたと思います。あの時あの本に出合ったことが、私の考え方という点においての、人生のターニングポイントとなりました。

余談

 

 
ここでちょっと自分をフォローしておきたいと思います。
とっても面倒くさがりの私ですが、好きなことに関しては熱中して根気強くやり続けることができました。

もの作りやアート関係の作業は大好きで、いつまでも続けることができます。
休み時間にずっと漫画を描いていたり、学校から帰ったらひたすらフェルトでマスコット人形を作ったり(母が大事に保管してくれていたのですが、大人になった今見ても手が込んでいるものでした。)、長期休暇の宿題でフランス人形を作って展示会に出品してもらったり、手芸部に入ってあらゆる手芸キットを制覇していったり、大人になっても公募ポスターをデザインしてそれが採用されたり、レザークラフトの公募展で入賞したりしたこともあります。
 
好きなことに関してだけは、頑張ることができたのです。
 
 

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