「こうしなきゃいけない」は手放そう!【1】
はこちらから
何かを許せないと思うには必ず背景があります。
ある人が自由にしている行動が、
自分には許されていない。
(もしくは、過去、許されてこなかった)
羨ましい!
と思う気持ちかもしれません。
もしくは、
小さなころから親に教えられてきた観念、
「そんなことをしてはいけません」
と言われてきたことを、他の人がしていたら
それをそのまま自分に当てはめて
「私ならそんな行動はしない」
「そんなことはしてはいけないはずだ」
と思って怒りを感じる場合があります。
でもそれは、
成長の過程で親や先生から教えられてきた観念です。
その観念を持っている限り、
あなたの周りには絶えず許せない人が現れ、
あなたをイライラさせることでしょう。
先ほども言いましたが、
他人を変えることはできません。
だって他人は自分と違う観念をもって生きてきたのですから、
あなたと同じ観念を持っていないからって怒る必要は無いのです。
あなただって、
あなたが納得できない、他人の観念を押し付けられて
「あなたは間違っている」
と言われたって困ってしまうでしょう?
だったら、なにか怒りや、不満、違和感を感じた時、
あぁ、
これは自分がどんな観念を持っているのかを
知るための良い機会なんだな、
と考えてみてください。
例えば私は、
時間にルーズな人が信じられませんでした。
学校には時間前にきちんと行くもの。
仕事が始まる15分前には職場について、始業時間と同時に仕事は開始するもの。
友達を待たせちゃいけない。
そう思ってきたからです。
これらは一見当たり前のことなんですが、
この観念を持っていると、時間に遅れる人が許せなくなってしまうんですね。
「なんで待ち合わせをするといつも私が先に来て、
10分も20分も待たされるんだろう。
あの人はなんてルーズな人間だ」
「なんであの人は始業時間なのにまだ同僚と話をしているんだろう。
数分かもしれないけど、私の方が多くきちんと働いているのに
給料が同じだなんて許せない。」
「あの人は時間にルーズなくせに私には別のことで怒ってくる。
こんな人からのアドバイスは受け入れがたい。」
学生時代は遅刻するとその遅刻した人を先生が怒ってくれていたので、
「あぁ、やっぱり遅刻するあの子が悪くて、私は正しいんだな」
と、私の留飲も下がっていました。
でも社会に出て何年も生きていると、色んな人に出会います。
私は始業20分前に来ているのに、
ある人は始業時間ギリギリ、
もしくはぴったりに来て慌てて仕事を始めるんです。
(当然数分は始業時間が過ぎてから仕事を始めることになります。)
待ち合わせをすると、必ず遅刻してくる友人。
それも、5分や10分ではありません。
「忘れ物をした」
「家事が終わらなかった」
「直前に用事を頼まれた」
理由は色々なんですが、常に20分30分遅れる。
理由が無くても、必ず5分程度の遅刻は当然のこと、
その人の中では、
自分が遅刻したとさえ思っていないんです。
「明日の10時にお電話します!」
と言った取引先の営業さん。
私は10時ピッタリに電話の前でじっと待っているのに、
10時10分になっても15分になってもなかなかかかってこない。
すっごく手持無沙汰で、やっと電話がかかってきた時には
「ただ待ってた私の時間を返して欲しい」
と、イライラが募っています。
そんな人たちに出会うたびに
「なんでこの人たちは時間を守らないのか?」
と思っているうちは、何も変わりません。
怒りを感じる出来事や人に出会った時に、
「なぜ今私は怒りを感じたのかな?」
と自分を振り返ってみて下さい。
そして例えば、自分は親から
「遅刻するのはいけないことだ」
と、
小さなころから教えられてきた経験があるのを
思い出したとしたら、
それが、自分が親から教わった「観念」なんだな
と理解してみましょう。
もちろん、時間を守るのは社会人としてのルールではあります。
でも、その観念を持っていることによって
他人にイライラしたり、怒りがわいてしまうとか、自分の中に
ネガティブなエネルギーが生まれてしまうとしたら、
そのイライラを生む観念を、
大事に持っている必要があるでしょうか?
「そうは言っても、時間を守るって当然のことだし、
私の観念が原因だって言われたって納得が出来ないよ…」
そうですよね。そう思いますよね。
じゃあ、質問を変えてみましょう。
自分に良い影響がない観念をずっと持ったまま、
イライラする人生を送りたいですか?
それとも
他人の遅刻ごときでいちいち振り回されず、
穏やかな心で過ごせる自分でありたいですか?
長年持ち続けてきた観念は、
すぐに手放せるものではありません。
でも、まずは
「もう少し時間を守ることに対して
おおらかになってみても良いかな」
と受け取ってみる事。
そして、次にルーズな人を見てイラっとしてしまった時に
「あ、また私の観念が出て来てるんだな」
と感じる事。
それを何回も繰り返すことで、
だんだんとルーズな人に対して寛容になることが出来ます。
これは、ルーズな人をOKとせよ、と
言っているわけではありません。
周りの人の行動によって、
自分の感情を振り回されないために
必要な考え方だと思ってみて下さい。
今までは「当然守るべき社会のルール」と思ってきたことを、
「この観念を持っていない人もいるんだな」
って思えたらしめたものです。
これはあなたがもっと気楽に生きるためのヒント。
この考え方を選ぶかどうかはあなたの自由です。