
夜の台所で、最後のお皿を伏せたところです。
水の音が止まると、部屋が、ふっと静かになりました。
窓の外は、もう暗くて。
ガラスに、自分の顔が、うっすら映っています。
こういう時間に、なんとなくスマホを開いてしまうこと、ありませんか。
指をすべらせると、そこには。
きれいに片づいた台所。
そろえられた器。
やわらかい照明の下で、湯気を立てているお茶。
どれも、美しくて。
どれも、少しも、まちがっていなくて。
それなのに、画面を閉じたあと。
さっきまで「悪くないな」と思っていたはずの自分の台所が、急に、うすく見えたりするのです。
この頃は、文章まで、きれいに整う時代になりました。
言葉づかいも、写真の色も、暮らしの見せ方も。
整っていることが、もう、あたりまえの風景になっています。
だからこそ、わたしたちは、いつのまにか。
「整っていないこと」を、欠けているみたいに感じてしまう。
わたしは、そういう夜を、何度も過ごしてきました。
あの人の夜は、あの人のもの
画面の向こうにも、ちゃんと生活があります。
あの写真の外側には、洗いかけの鍋があるかもしれないし、言えないままの心配ごとがあるかもしれない。
でも、それは写りません。
写らなくて、いいのです。
わたしたちが見ているのは、その人の一日ではなくて。
その人が、そっと選んで差し出した「いちばんいいところ」の、ほんの一枚。
一枚と、まるごとの自分の暮らしを、並べてはいけません。
それは、はじめから、くらべられないものだから。
わたしの暮らしにも、写らないものがある
そして、これは、逆も同じなのです。
あなたの毎日にも、写真にならないものが、たくさんあります。
誰かの話を、口をはさまずに聞いた時間。
言いたいことを、ひとつ飲みこんだやさしさ。
今日も、家族のごはんが、あたたかかったこと。
それらは、四角い画面には、けっして入りません。
でも、たしかに、あった。
今日は、こんなことを試してみませんか。
「スマホの、置き場所をひとつ決める」
寝室ではなく、廊下でも、玄関でも。手をのばせば届く場所から、少しだけ離してみます。距離ができると、心は、ふしぎと静かになります。
「写真に撮らないものを、ひとつ味わう」
お茶のにおい。窓を開けたときの、夜の風。撮らないと決めてしまうと、その時間は、まるごとあなたのものになります。
「いいな、で止めてみる」
誰かの投稿を見て、いいな、と思ったら、そこで終わり。「それにくらべて、わたしは」の続きを、書かないでおく。心のなかの文章も、途中でやめていいのです。
最後に
くらべることをやめるのは、がんばることではありません。
そっと、目を上げるだけ。
画面から、自分のいる部屋へ。
すぐには、できないかもしれません。
明日もまた、うらやましくなるかもしれません。
それで、いいのです。
気づけた夜が、一度あれば。それはもう、はじまっています。
どうか、焦らず。
あなたのペースで、あなたの暮らしに、帰ってきてください。
今日も、あなたにとって穏やかな時間が流れますように。
星と引き寄せのカウンセラー、宮西でした。
台所の灯りを、ひとつ落とします。
窓に映っていた顔が、消えて。
かわりに、外の暗さのなかに、遠くの家の窓が、ぽつり、ぽつりと見えてきました。
あそこにも、誰かの夜があるのでしょう。
ここには、あなたの夜が。
おやすみなさい。
また、夜のどこかで。



