不安だらけの人生


 
大学時代に本を読んだことがきっかけでスピリチュアルに興味を持ったものの、私はスピリチュアルに関する知識をあまり広げないまま時が経ちました。夢物語みたいなスピリチュアルを掘り下げたかった訳ではなく、現実世界で生きるのが少し楽になるような観念(輪廻転生について)を得たことで、少し楽なっていたからです。
 
なのでスピリチュアルやオカルト、宗教などの違いも分かっていませんでしたし、パワーストーンや占いもそれらに関係するのかしないのか、何となくよく似たカテゴリーのような気がするけど…というとらえ方で、良く知らないままでした。

スピリチュアルについてはもう少し知りたいとは思って本を読んだりはしていましたが、同時にスピリチュアルなどの「ある考え方」に熱狂的に傾倒する人たちには多少の脅威を感じてもいました。
 

  
私の実体験で例をあげてみます。
 
私は小学校の頃からパワーストーンが好きでした。
雑誌などの後ろの方のページに載っていた「これを付ければ願いが叶う!」みたいな売り文句のブレスレットの広告を見ては欲しいと思っていました。
  
また、純粋に様々な色の石がきれいだとも思いましたし、「この石は地中でこのようにして形成され、硬度はこのくらい。この産地で掘られて、あまりたくさんは取れない貴重なもの。」というような地質学的な側面を知るのも面白いと思いました。
 
でも残念ながら、私は霊能力があるわけでもサイキック能力があるわけでも神秘的な体験をしたわけでもなく、普通のなんにも見えない・感じない人生を歩んできています。
私には感じ取ることができないけれど、もし、パワーストーンショップの店員さんが言うように、本当に天然石に「恋愛に効く」などの効果があって、何らかのパワーで人を助けてくれるのならば、是非それにあやかりたいとは思っていました。
 
私の知らない神秘的な世界があるのであれば、私にわかるように説明して欲しい、もしくはエネルギーなり何なり視認できるものを見て、私が納得するような証拠を目にしたい、と思っていました。
 
そんな風に天然石やそのパワーと言われるものにはとても興味があって、ショップに行ったり天然石のサイトを見るのは大好きですが、天然石を好きな人と話すのはあまり気が進みません。
 
石の上に手をかざしたりして「ね?何か感じるでしょう?この石は力があるのよ!」と、「石にはパワーがある=天然石が好きな人にとっては周知の事実」のように言われる方が多かったのですが、十分に理解ができません。
私にはそんな目に見えないエネルギーは感じられないのです。「ね、感じるでしょ?」と主観を押し付けてくるだけではなく、そんな特別な視る、または感じる能力のない一般人の私にも理解ができるように、どのように石に力があって役に立ってくれるのか、分かりやすく説明が欲しいと思いました。
 

 
ある時は、特定の宗教を信じている人に「この神様を信じるとあなたも人生をやり直せるのよ」と言われ、「あなたが私の人生の何を知っているのか。なぜ私の人生が崩壊しているかのように決めつけるのか」と思いました。「自分の信じている神様を信じる以外は道は無い」と、異なる意見や思想を受け入れないのに、自分の信念は絶対のものとして押し付けてくる一方的な感じが嫌でした。
 
別の宗教を信じている人が、その宗教特有の治療(?)を施して、効果をはっきりと感じていない私に対して「ね?楽になったでしょ?」(なぜ私の意見を聞かずに『当然楽になったはず』という思い込みを押し付けてくるのでしょうか…)
 
お坊さんの講和で「『南無阿弥陀仏』を唱えるとお釈迦様がそばまで近寄って来て『私が付いていますよ、あなたは大丈夫ですよ』と言ってくれるのです。」と話しているのを聞くと、「この人は本当に物理的にお釈迦様が近づいてきてくれると心底思っているのだろうか。もし本当にお釈迦様が近づいてきてくれているのであれば、その姿を見せて私に心底仏教を信じさせて安心させてほしい。」と思いました。
(その時聞いたお話をうろ覚えの記憶で書いていますので、もし内容に間違いがありましたら仏教に関係している方々には深くお詫びいたします。)
 

 
スピリチュアル、宗教、パワーストーンの効果を信じるというカテゴリーの人たちの違いを理解していないので、実例がごっちゃになっていましてすいません。そして何だか宗教の例が多くなりましたが、宗教を否定しているわけでもありませんので誤解の無いようにお願いいたします。
 
とにかく宗教なりスピリチュアルなり何なり、特定のものを信じている人たちの多くが、知識のない素人の私に、何の説明も無しに頭から目に見えない世界の話を周知の事実のように押し付けて、さらに共感を求めてくる機会に多く遭遇しました。
最初から意見を押し付け気味にしてくる人に対して色々質問すると、強引に入信させられてしまったり、石を買わされてしまったりしそうな気がして、いつも興味津々のくせに興味が無いふりをしていました。
 
もし自分が「この宗教を信じたら私の人生は幸せになりそうだ」と納得できる説明に出会えれば、入信したと思います。だって私は輪廻転生を信じることにした時に、神様の存在も信じることにしましたから。
この生きにくい人生が、自分の考え方ひとつで前向きに幸せに生きられるようになれば、例えその信じているものが科学で証明されていようがいまいが、どうでもいいじゃありませんか?人生は幸せに生きた方が良いですよね?
 
ただ、「信じてみたい」と思える、「これを知れば幸せになれる」と確信できる観念にまだ出会っていませんでした…去年までは。
 

 
何の信じるものも無く人生を生きるのは、不安や不公平や理不尽が多すぎると思っていました。
 
なぜお金持ちといつもお金に困っている人が存在するのか?
なぜ食料が無くて餓死する人がいる国と、たくさんの食べ物を廃棄する国があるのか?
なぜあの子の親は優しくて、私の親は厳しいのか?
病気になって動けなくなったりしたら、人生終わり?
事故にあったりして体が不自由になるかどうかは、単に運に任されているのなら、とても恐ろしい。
 
人生全てが偶然のたまものなら
お金持ちの家に生まれた子、甘い親の子がうらやましい。
美人がうらやましい。太らない体質の人がうらやましい。
とりあえず飢えて死ぬことは無さそうな日本に生まれてまだラッキーだった。
 
と、人と比べたり羨んだり、不運を嘆いたり後悔したりと、不満がいっぱいの人生でした。
 

ちょっと視点を変えるだけで感じられる幸福感を、
是非たくさんの方々にも感じてもらいたいと思います。
 
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