観念を自分で選び取る

私は「人生は怖いことに満ち溢れている」と
思っていたことに気が付きました。
 

 
他人は、私から時間や労働力や気力を奪っていく存在。競争する相手。

まるでブランドの限定商品の奪い合いのように、
他の人が何かを手に入れれば私の取り分が減るのだと思っていました。

 
美人に生まれなかった私は不運。
あの時、怒られた自分は被害者。
あの時、自由を制限された自分は被害者。
大学院に行かせてもらえなかった自分は被害者。
〇〇を押し付けられた、〇〇をやらされた、
××された、△△された、された、された…

 
私の被害者意識は、他人の中の愛を信じられない私を作りました。
人を恐れ、怒られれば委縮して、心を閉ざし続けてきました。
他人に迷惑をかけて、口先で謝っても本当には反省してなくて、
性悪説を信じていた私。
 
そして、自分の人生や、
私たちが生きているこの地球も信じていませんでした。

自分は偶然生まれてしまって、暮らしている環境は
いつでも危険に満ち溢れていて、
いつ自然災害や事故や病気で死ぬかもしれない。
 
今 命があるのは、今 毎日ご飯にありつけているのは偶然ラッキーが
続いただけのことで、かろうじて命を長らえているだけだと。

 

 
年老いて命の炎が尽きるその時まで、
少しでも嫌な出来事に出会わないように、
嫌な人に出会わないように、
不運が起きないように願って生き続けるのだと。

だけど今、スピリチュアルに出会って、12ステップセッションで
自分の人生を分析し、その考え方が全く変わりました。


被害者意識を認識して手放しました。
完璧ではない自分を許し、受け入れました。
他人への恐れを手放し、過去の嫌な思い出を手放しました。
 

恨みがましく嫌っていたあの人もこの人も、私の学びのために
「嫌な人」の役割を演じてくれたソウルメイトなのだと感じました。
悪事を働いた人を自分が寛大になって許してあげるのではなく、自分のために、
自分の心を軽くするために許しが必要なのだと理解しました。
重い感情を、自分のために手放しました。
いえ、「自分のために」とか考えて無理やり自分を納得させる必要もなく、
人生の仕組みを理解するだけで、自然に「ゆるし」が起きたのです。
 

嫌な出来事を別の視点から見ることを学びました。
自分の人生に起きる出来事に何一つ間違っているものは無く、
意味の無いことなど無いことを確信しました。
 

起きた出来事の意味は、いつでも自分のとらえ方1つで、
ネガティブにもポジティブにも捉えられることを知りました。
いつでも自分が主体となって、観念を選択できるのです。

 
宇宙、神様、創造主。呼び方は何でも構いません。
創造主が私たち人類すべての人々に万全であるように、
環境も人生も周到に準備してくれているのを知りました。
そしてその周到な人生設計には、自分も関わって
生まれることを決めてきたのだと、信じています。

 
他人が私から何かを奪うことは無く、
私も他人の何かを奪ってしまう事はありません。
全ては完璧なのです。

 

 

自分の中の論理的な思考が不安を吐き出して私を現実に引き戻そうとします。
 

「宇宙の仕組みなんて、スピリチュアルなんて、科学的根拠が無いんじゃない?」
そんなことはどっちでも構いません。
 
「そんな夢物語みたいなことを信じるなんてばかばかしいと
誰かに批判されるかもしれないよ?」

そういう意見もあると受け入れた上で、気にしない心構えを
持つことができるようになりました。

 
例えば、雪男やUFOやツチノコが本当にいると信じている方が、
人生ちょっと楽しくなりますよね。
そんな、人生が楽しくなる発見をしたような感じ。
しかもUFOよりも、
もっともっと人生に確信をもって生きていけるような大事な信念を。

 
自分の人生歩んでいくに際し、自分が信じたいことを信じて、
自分が幸せになれる考え方を選んで生きていくのに、
なぜ理性的な思考や他人からの批判を気にする必要があるのでしょうか?
私は他人の意見に振り回される
人生ではなく、自分の人生を生きたいのです。
 

ちょっと視点を変えるだけで感じられる幸福感を、
是非たくさんの方々にも感じてもらいたいと思います。
 
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不安だらけの人生


 
大学時代に本を読んだことがきっかけでスピリチュアルに興味を持ったものの、私はスピリチュアルに関する知識をあまり広げないまま時が経ちました。夢物語みたいなスピリチュアルを掘り下げたかった訳ではなく、現実世界で生きるのが少し楽になるような観念(輪廻転生について)を得たことで、少し楽なっていたからです。
 
なのでスピリチュアルやオカルト、宗教などの違いも分かっていませんでしたし、パワーストーンや占いもそれらに関係するのかしないのか、何となくよく似たカテゴリーのような気がするけど…というとらえ方で、良く知らないままでした。

スピリチュアルについてはもう少し知りたいとは思って本を読んだりはしていましたが、同時にスピリチュアルなどの「ある考え方」に熱狂的に傾倒する人たちには多少の脅威を感じてもいました。
 

  
私の実体験で例をあげてみます。
 
私は小学校の頃からパワーストーンが好きでした。
雑誌などの後ろの方のページに載っていた「これを付ければ願いが叶う!」みたいな売り文句のブレスレットの広告を見ては欲しいと思っていました。
  
また、純粋に様々な色の石がきれいだとも思いましたし、「この石は地中でこのようにして形成され、硬度はこのくらい。この産地で掘られて、あまりたくさんは取れない貴重なもの。」というような地質学的な側面を知るのも面白いと思いました。
 
でも残念ながら、私は霊能力があるわけでもサイキック能力があるわけでも神秘的な体験をしたわけでもなく、普通のなんにも見えない・感じない人生を歩んできています。
私には感じ取ることができないけれど、もし、パワーストーンショップの店員さんが言うように、本当に天然石に「恋愛に効く」などの効果があって、何らかのパワーで人を助けてくれるのならば、是非それにあやかりたいとは思っていました。
 
私の知らない神秘的な世界があるのであれば、私にわかるように説明して欲しい、もしくはエネルギーなり何なり視認できるものを見て、私が納得するような証拠を目にしたい、と思っていました。
 
そんな風に天然石やそのパワーと言われるものにはとても興味があって、ショップに行ったり天然石のサイトを見るのは大好きですが、天然石を好きな人と話すのはあまり気が進みません。
 
石の上に手をかざしたりして「ね?何か感じるでしょう?この石は力があるのよ!」と、「石にはパワーがある=天然石が好きな人にとっては周知の事実」のように言われる方が多かったのですが、十分に理解ができません。
私にはそんな目に見えないエネルギーは感じられないのです。「ね、感じるでしょ?」と主観を押し付けてくるだけではなく、そんな特別な視る、または感じる能力のない一般人の私にも理解ができるように、どのように石に力があって役に立ってくれるのか、分かりやすく説明が欲しいと思いました。
 

 
ある時は、特定の宗教を信じている人に「この神様を信じるとあなたも人生をやり直せるのよ」と言われ、「あなたが私の人生の何を知っているのか。なぜ私の人生が崩壊しているかのように決めつけるのか」と思いました。「自分の信じている神様を信じる以外は道は無い」と、異なる意見や思想を受け入れないのに、自分の信念は絶対のものとして押し付けてくる一方的な感じが嫌でした。
 
別の宗教を信じている人が、その宗教特有の治療(?)を施して、効果をはっきりと感じていない私に対して「ね?楽になったでしょ?」(なぜ私の意見を聞かずに『当然楽になったはず』という思い込みを押し付けてくるのでしょうか…)
 
お坊さんの講和で「『南無阿弥陀仏』を唱えるとお釈迦様がそばまで近寄って来て『私が付いていますよ、あなたは大丈夫ですよ』と言ってくれるのです。」と話しているのを聞くと、「この人は本当に物理的にお釈迦様が近づいてきてくれると心底思っているのだろうか。もし本当にお釈迦様が近づいてきてくれているのであれば、その姿を見せて私に心底仏教を信じさせて安心させてほしい。」と思いました。
(その時聞いたお話をうろ覚えの記憶で書いていますので、もし内容に間違いがありましたら仏教に関係している方々には深くお詫びいたします。)
 

 
スピリチュアル、宗教、パワーストーンの効果を信じるというカテゴリーの人たちの違いを理解していないので、実例がごっちゃになっていましてすいません。そして何だか宗教の例が多くなりましたが、宗教を否定しているわけでもありませんので誤解の無いようにお願いいたします。
 
とにかく宗教なりスピリチュアルなり何なり、特定のものを信じている人たちの多くが、知識のない素人の私に、何の説明も無しに頭から目に見えない世界の話を周知の事実のように押し付けて、さらに共感を求めてくる機会に多く遭遇しました。
最初から意見を押し付け気味にしてくる人に対して色々質問すると、強引に入信させられてしまったり、石を買わされてしまったりしそうな気がして、いつも興味津々のくせに興味が無いふりをしていました。
 
もし自分が「この宗教を信じたら私の人生は幸せになりそうだ」と納得できる説明に出会えれば、入信したと思います。だって私は輪廻転生を信じることにした時に、神様の存在も信じることにしましたから。
この生きにくい人生が、自分の考え方ひとつで前向きに幸せに生きられるようになれば、例えその信じているものが科学で証明されていようがいまいが、どうでもいいじゃありませんか?人生は幸せに生きた方が良いですよね?
 
ただ、「信じてみたい」と思える、「これを知れば幸せになれる」と確信できる観念にまだ出会っていませんでした…去年までは。
 

 
何の信じるものも無く人生を生きるのは、不安や不公平や理不尽が多すぎると思っていました。
 
なぜお金持ちといつもお金に困っている人が存在するのか?
なぜ食料が無くて餓死する人がいる国と、たくさんの食べ物を廃棄する国があるのか?
なぜあの子の親は優しくて、私の親は厳しいのか?
病気になって動けなくなったりしたら、人生終わり?
事故にあったりして体が不自由になるかどうかは、単に運に任されているのなら、とても恐ろしい。
 
人生全てが偶然のたまものなら
お金持ちの家に生まれた子、甘い親の子がうらやましい。
美人がうらやましい。太らない体質の人がうらやましい。
とりあえず飢えて死ぬことは無さそうな日本に生まれてまだラッキーだった。
 
と、人と比べたり羨んだり、不運を嘆いたり後悔したりと、不満がいっぱいの人生でした。
 

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